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山下達郎「蒼氓」歌詞の意味がちょっとわかったかも

20代の頃に初めて聞いて以来ずっと聞き続けている「人生の1曲」のリスペクトソングです。サンデーソングブックで放送された山下達郎さんのライブMCの書き起こしから、この曲の意味を自分なりに読み解いてみました。

目次

30代の頃に思ったこと

10年ぐらい聴き続けていますが、こう捉えてるという解釈も、感じるものを言語化するのもむずかしい曲ですね。ちなみに「蒼氓」とは無名の民を表すそうです。歌詞を細かく分解して、思う事を綴っていきます。

「数知れぬ人々の魂に届く様に」
最初聞いた20代の頃は、この部分がすごく好きで、仕事のデザインをするときはいつもこう思ってはいるんです。デザインのクオリティーは…まだまだですけど。

「吹きすさんだ風に怯え くじけそうな心へと 泣かないでこの道は未来へと続いている」
この部分も好きで、この言葉に助けられたし、自分のこどもに対してもこんな気持ちでいます。

「寂しさは琥珀となり密やかに輝き出す」
これは10代の頃の事を思い出すなあ。孤独だったゆえのイマジネーションとか青春ノイローゼなモテないがゆえの主観とかが、自分のクリエイティブにつながっているだろうし、クリエイティブの孤独(自分で考え、答えを社会に表明して、共感を得るというプロセス)を味わったときこの言葉の持つ意味がさらに深く感じられました。

力をもらったり、癒されたり、尊敬したり、と共感することだらけなんですが、1カ所だけピンとこない部分があったんです。この曲の一番重要な部分。

「憧れや名誉はいらない 華やかな夢も欲しくない生き続ける事の意味 それだけを待ち望んでいたい」

ここなんですよ。「憧れや名誉はいらない 華やかな夢も欲しくない」って言い切れない。このままでいいっていうのは、ちょっとモチベーションを維持できないなあ。もうちょっといい家、もうちょっといい車、もうちょっとお金を気にしない生活をっていう気持ちがやっぱりあるんですよね。ま、それだけじゃないけど。若いからさ。あと、ここが一番ピンときてない

「待ち望んでいたい」という表現。「待ち望んでいたい」とはどいう感覚なんだろう?

というのが10年近くずっと腑に落ちないままでした。数年前に山下達郎のラジオ「サンデーソングブック」に達郎さん5年ぶりのライブ「山下達郎 アコースティック・ミニ・ライヴ」がオンエアされまして、そのときのMCでの発言を一部を紹介します。

音楽で世の中を変えられると思ったことは一度もありません。歌は世につれ、世は歌につれ。といった言葉があるが、歌は世につれても、世は絶対に歌にはつれない、といった考え方であります。しかし私も文化に関わっている人間の端くれなんで。こうした文化メディアはそうした世の中の流れに否応なしに左右されるメディアですので、しからば音楽にとって何が出来るのか…と考えると騒乱とか争いとか、心の痛み、悲しみ、そういうものを慰め、癒したり、励ますことは音楽でもできるのではないかとずっと考えて生きてきました。19歳の時に出会った「WHAT’S GOING ON / MARVIN GAYE」この1曲はワン・オブ・ザ・ベスト。今でも自分の心、いや魂に強烈なメッセージを投げかけてくれる。30数年経っても僕にとっては最高の一曲。そのような曲を僕自身でも作れるだろうか。ずっと思っていて30代半ばに、思想と言ったら口幅ったいが、僕自身の物の考え方を込めた曲を作りました。

これが「蒼氓」です。1988年に発売された山下達郎通算9作目のスタジオ・アルバム『僕の中の少年』に収められている1曲です。コーラスは桑田佳祐・原由子、竹内まりや・山下達郎での4人で歌っています。山下達郎の楽曲で他のミュージシャンが参加するのは珍しいのではないでしょうか。それだけ特別な曲というのがわかります。

このコメントから、「蒼氓」は「心の痛み、悲しみ、苦しみ、それらを慰め、癒し、励ますこと」をうたっていると思うから、欲や競争から生まれる苦しみなどを慰め、癒し、励ましたいという意味で「憧れや名誉はいらない 華やかな夢も欲しくない」という歌詞が生まれたのかもしれません。

さらに、「山下達郎 アコースティック・ミニ・ライヴ」のMCは続きます。

ここ10年、思い通りに物事がうまくいかない。そういう時代が長く続いて、長いことやっていると自分を取り巻く環境、音楽を作る環境が変わります。特に21世紀に入って激変しました。ハードディスクレコーダーに音楽を録音する時代になり、機械が変わると全く音の響き方が変わる。自分では15年、20年前と同じように一所懸命作っているが、あがったものが全く似て非なるものとなる。それで七転八倒した時代がここ3,4年でしたが、最近ようやく調子を取り戻してきました。人の問題も色々ありまして、レコード会社とも紆余曲折があった。一時は移籍も考えたが、ここ数年レコード会社の役員から現場まで人が変わり、今度は逆にすごく大切にしてくれるようになった。そのお陰で、まりやも自分も新作やヒットが出せるようになった。
人間の運命なんてどこでどう変わるかわからない。今が悪くても先は良くなるかもしれない。しかし、またその先に何かが待ち構えているかもしれない。だから、とりあえず先に進むしかない。どこが勝ち、どこが負け、勝ち組とか負け組とかくだらない言葉があるが、そういうことではなく、人生とは不思議なものだと思う。現在55歳。還暦までは毎年少しでもツアーをやりたい。ここ数年間、その中長期的計画を組んでいた。昔のヒット曲を聴きたいお客様もたくさんいるが、だからといって昔の曲ばかりだとそれは懐メロ歌手になる。昔は良かったな、となるには僕はまだ早い。僕はまだ尖がっていたい。まだ前に進みたい。

そして、達郎さんは純粋に音楽を作ろうとしてきたからこそ、「憧れや名誉はいらない 華やかな夢も欲しくない」と言い切れて、純粋に音楽を作ることが達郎さんの「生き続ける事の意味」なのかもしれない。一所懸命作り続けても、時代や環境に左右されることもある。だから、純粋に音楽を作れる自分の気持ちを「待ち望んでいたい」のかもしれない。「僕はまだ尖がっていたい。まだ前に進みたい。」って言ってるわけだから、ただ目的もなく、自堕落に生きるようなことを待ち望んでなんかいないと思う。

また、蒼氓という名も無き民の多くは日々の生活や家族を大事にして生きている人たちがたくさんいて、その人達の純粋に仕事をやっているその魂だったり、純粋に誰かを想う気持ちだったり、を尊敬していて、それが「生き続ける事の意味」であって、自分もそうありたいということで「待ち望んでいたい」のではないかと思う。

達郎さんが30代半ばで作った「蒼氓」ですが、同じぐらいの歳になって、10年聞き続けて、やっと、こういう気持ちかもと思えました。浅い解釈の稚拙な表現しかできなかったけど、自分なりに精一杯考えて言葉にしてみました。純粋に向き合えば、「生き続ける事の意味 それだけを待ち望んでいたい」という気持ちになれるのではないでしょうか。

いま震災のこの現状のなか、政治の世界はなんとくだらない事をやっているのかとつくづく思います。トップに多少至らない点があろうと、復興を第一に考えて、枠を越えて、目をつぶってカバーしてやるぐらいの気概のある政治家はいないのでしょうか。地位や立場にこだわらず、自分のできることを日本のためにやればいいじゃないか。揚げ足取りで、足の引っ張り合いばっかりして、被災地の名も無き民に比べたら醜すぎると思います。(2011年6月)

40代で思うこと

最初にこの記事を書いた30代の頃は達郎さんのアルチザン(職人)の部分にフォーカスしていたけど、40歳を過ぎていま聞くと、またちょっと違いまして、大げさに言えば「生と死」を意識するようになった。

というのも、私個人のことをはさみますが、昨年、小学校のときの友だちが病気で亡くなりました。41歳の若さです。同い年で家が近く毎日一緒に学校に行ってました。中学卒業以来会っていませんが、やっぱりさみしいです。じじいになって同窓会かなんかで会たら、ぼくらはきっとまた笑いあえると思っていました。

さらに先月、小学5・6年のとき同じグループだった友だちが亡くなりました。彼は自殺したそうです。詳細はわかりませんが、とってもさみしい。私のなかには、時が止まったままの小学生の頃の彼らしか住んでいなくて…せつないんですよ。

自分の子供がいま6年生の男の子だから特にそう思うのかもしれません。

死について、ただただ、どうしようもなく、さみしいよなあと感じる自分の気持ちと、どうつき合おうかと考えているところで、この「蒼氓」を聞いていると、また違う入り方があるんです。

「憧れや名誉はいらない 華やかな夢も欲しくない生き続ける事の意味 それだけを待ち望んでいたい」

友を失くして、これは、もうそのまんま、そう思えるようになりました。生きてこそだろ!って強く思います。自ら投げ出すなんて…生きる意味を失うなんて…なんて悲しいことなんだと。

勝ち組、負け組なんて本当くだらない。今が悪くても、その先どうなるかわからない。達郎さんの言う通りだと。あと、30代の時はスルーしていたところがありました。

この歌の核になるのは、ここだと思ったんです。曲の終盤の

To find out the truth of life!

これをどう訳すかですが、「生きる本当の意味を見出すために」と訳してみました。

私の受け取り方のニュアンスを伝えたいので、補足しますと「私達が一人ひとりみんなが本当に生きることの意義を見い出すために」という感じですね。主語は「私達」じゃないかと、で、生きることを見い出すのは「一人ひとり」みんなのことだろうと。

蒼氓という名もなき民が、みんなそれぞれにいろいろあって、生きる意味を考えたりしながら生活するんだよね、喜びも悲しみも、さみしさも、人生のまるごと全部を「蒼氓」は歌ってるんじゃないかなと思うんです。

「生き続ける事の意味 それだけを待ち望んでいたい」の部分は、曲の途中では違和感があるかもっていうのは、わかった上で、曲の最後に「To find out the truth of life!」と、しめくくったのかもしれない。

「みんなが生きることに意味を見い出せるような、平和な状態や社会を私は待ち望んでいたい」と言っているのではないかと。

実にテクニカルな作詞だと思いました。わかるのに15年かかりましたけどね。

「私たちみんなが生きる意味を見出せますように」という、達郎さんが考える「人が生きる」という事への祈りのような歌だと思っています。

私的なことをはさみましたが、検索してここにたどり着いて今読まれている方も、きっと私と同じように、大切な人との別れであったり、人生の岐路であったり、悲しみや悩み、苦しみ、など、抱えておられるのではないでしょうか。

そういった人のためにこの曲はあると思いますし、「泣かないでこの道は未来へと続いている」と歌詞にあるように、それぞれの道を前を向いて先に進むための曲だと思います。

読んでくれた方、ツイートしてくれた方、の反応のおかげで、なかなか言葉にできなかった友への思いも書けました。ありがとうございます。この場を借りてお礼申し上げます。(2017年9月)

この曲を一度、生演奏で聞きたいと思って、Performance2010からライブに行っていました。地方会場のため公演がなかったシーズンもあり、performance2017でやっと「蒼氓」をライブで聞くことができました。

もう号泣でしたよ。私もあなたもきっと達郎さんのライブ会場のどこかにいるんでしょうね。これからも達郎さんの音楽とともに愛を持って生きていきましょう。今年はperformance2018千穐楽に当選しました。楽しみです。(2018年8月)

『僕の中の少年』は35歳という年齢で、自分の子供が生まれて、自分が大人になっていく思いを反映しており、そのいちばん典型が「蒼氓」であります。
芸能の世界に生きていますと、成功・失敗、有名・無名といった事と常に隣り合わせで生きておりまして、出来ることならそういったことではなく、平常心で生きたい。普通に生活者としての心情を模したい。「蒼氓」は無名性・匿名性への賛歌であります。

(2020年11月22日山下達郎のソングブックにて本人解説)

●ベストにも「蒼氓」リマスターで収録されています。

●ライブバージョンはリスペクトする曲の歌詞を織り交ぜたロングバージョンで必聴です。

created by Rinker
ワーナーミュージックジャパン

もう1曲いかがですか

●「希望という名の光をあなたに、私に、人生に、みんなに」と歌う。達郎さんの思想の根源を感じる曲

●師匠の大滝詠一さんが亡くなられて達郎さんの死生観が表現された曲「REBORN」

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この記事を書いた人

30年以上も飲めなかったコーヒーが飲めるようになったら、豆を挽き、ハンドドリップで淹れ、焙煎をするまでハマってしまった。人生何が起こるかわからないね。詳しくはこちら

コメント

コメント一覧 (33件)

  • コメントに困るくらいいい歌だね。
    心に響く。

  • こんな長いものを読んでくれてありがとう。この曲をこういう風に理解できるようになったのもこのブログにしたおかげ。自分へのフィードバックがすごいんだよね。

  • 最近は毎日この曲を聞いてます
    改めて本当に奥の深い曲だとおもいました

  • 私もつい先日聞きました。達郎さんの曲は本当に人の心に寄りそっていてすごいと思います。この曲をライブで聞きたいとずっと思っていて昨年のツアーでやっと聞けて感無量でした。同時代を生きて彼の音楽を生で聞けて、本当にうれしい。

  • うーん…
    否定するようで申し訳ないですが、あなたの思いはとうに達郎本人を
    凌駕しているように感じました
    達郎にとっての蒼氓という曲はJOYでほぼ完結していると思われます

    コーヒーについて色々書いてみえるのですね
    達郎の検索でこちらのブログが引っ掛かったのですが
    これから拝見させて頂きますね

  • コメントありがとうございます。全然大丈夫ですよ。
    「発表した曲は自分の思いを超えて伝わり、自分だけのものではなくなる。「希望という名の光」も震災があり、そういう曲になった。」ということを達郎さんはライブのMCで言われていました。察するに達郎さんは自分の曲が人の人生の側に存在していることを名誉なことだと思われているでしょう。

  • 「山下達郎 蒼氓」で検索してここにたどり着きました。
    私も40代前半です(男性ゲイです)。
    しばらく前までは10代、20代の頃の悩みや不安などを超えて安定や自信を見出していた自分がいました。ですがここ半年ほどは、また再び、しかしまたこれまでとは別の新たな悩みの中にいます。もう一段深いレイヤー?で歩み出す方法を見つけていく必要が出てきています。(これは仕事という意味ではなく、自分を生きること、についてです)。不安と模索の最中にいて、恥ずかしい話ですが、心細くて、一人で泣くことが増えていました。

    「泣かないで、この道は未来へと続いている」。
    そろそろ泣くのはやめて、それぞれの道を、私は私の道を、前を向いて進んでいこう、とこのブログを見て思いました。
    どうもありがとうございました。

    PS 山下達郎さんのライブは行ったことがありませんでしたが、ブログを読み、ぜひいつかいきたいと思いました。

  • コメントありがとうございます。そう言っていただけえると、大変嬉しく思います。私もつい最近、迷いから脱しました。40代まだまだこれから、どこでどう変わるかわからない。もがきながら前を向いていこうじゃないですか。

  • 蒼氓 、で検索してこちらに来ました。
    40代女、この春下の子が小学校1年生に入学し、
    またこれから、どう社会に関わっていくかな、と模索している段階です。

    蒼氓に出逢ったのは、ジャックスカードのCMで、
    歌詞よりもメロディから先に入ったのですが、
    知れば知るほど考えさせられるというか、
    奥が深いなと思っていました。

    様々なライフイベントがあり、ゆっくり音楽を聴く余裕もない時期もありましたが、
    最近は調べればその曲にたどり着ける、ありがたい環境が整ってきたこともあり、
    手元になかった昔聴いていた音楽を聴くことがてきるようになりました。

    曲に対する解釈は人それぞれで、
    またそのそれぞれの解釈を知ることで、さらに想いを馳せることができます。
    新たなステージに向かって、私もがんばります!
    こちらに伺うことができてよかったです。
    ひろ様も、どうぞお身体にお気をつけて、それぞれの道で、前を向いて進んでいきましょうね!

  • コメントありがとうございます。友達も子どもを産んで音楽を聞けなくなったと言っていました。女性は自分の時間が無くなるし、計画や予定が立てれなくなって、プライベートを失う部分が多いでしょう。ホント妻には感謝です。そういえば昔は音楽を聞くだけでもめっちゃコストかかってましたね。たまたま耳にした曲名も知らない曲を探そうものなら…

    しかし人生というのは不思議なもので、40才にもなったら、悩みなんてないのかと思ってたら、とんでもない。自分でどうにかなるようなもんじゃない事が出てきますからね。それでもジタバタして、七転八倒して、時に休んで、酒飲んだり、過去を振り返ってみたり、未来を探し求め、今を歩んでいくしかない。

    やっぱりこの曲には全部入ってると思いますね。この曲への思いを寄せていただくと、私も聞くたびに深まって、広がるんですよ。自分だけじゃやない、いろんな人がいろんな思いで、つながっているのを。私も新たなステージがやっと見えてきたところだったので、とても嬉しいです。

  • 山下達郎 蒼氓で検索してたどり着きました。40代女性です。聴きながら読んでいたらなんだか号泣してしまいました。
    夫婦二人子どもはいませんが楽しくやってるのに、なぜでしょうね。永遠じゃないと分かるからなのか…。でもだからこそ今を大事にして、生き続ける意味を私も知りたいと思いました。
    素敵な記事をありがとうございます。

  • この曲を初めて聞いた時は、特に悩みも悲しみもない2o代でしたが、ただ「いい曲だなあ」って聞いていました。きっとスルーできない何かを聞くたびに感じていたのだと思います。
    普段の生活、ライフが楽しく、雑にせず、それだけでなく、ほんのちょっと哲学というか思想というか、自分なりの「生きる意味」を持ってる人、考えている人はかっこいいなあって思います。そういった自分のことと同じように、他人のことも大事にできたら、やさしくなれたら、いいなと思いますが、なかなか他人のこととなると難しい。

    しかし、こういったコメントをいただけると、名もなき民のいろんな人のライフが実感でき、視野が広がり、力いただけるので、ありがたいです。これからも素敵な生活を。JOY

  • 昨日、本人のFM番組の最後に、この曲が流れました。
    この歌で、どのような思いが伝えられるかを本人も番組内で語っていたことがありました。

    今は、新型コロナに関して、「番組を明るくするには」と考えても誹謗中傷の原因になるかもしれないとは考えず、「できることをする」と語っていました。

  • 私も毎週サンソン聞いております。なにかにつけて誹謗中傷シャレが許されない風潮に流されず、冷静に日常をまっとうするのがサンソンリスナー。困難な事態を力を合わせ乗り切っていきましょう。
    ray of hope for us
    for everyone

  • 昨日の朝、2歳の娘を保育園に送っていった帰りの車内でこの曲がラジオで流れ、心を捉えられ、家に着いてもエンジンを切る事ができませんでした。初めて聴く曲でした。

    最近、好きな俳優さんの訃報があり、それほどのファンではなかったのに浮き上がれないままでいました。
    そんな中、この曲の、生と死、諸行無常を感じさせる雰囲気が私の心を捉えたのだと思います。

    誰が死んでも、誰かの生は続いていくし、その生もまたいつか終わりが来る。
    泣かないで、この道は未来へと続いている
    この道、とは人間全体の道、生きとし生けるもの全部の道、とも取れて、生も死も受け入れ一喜一憂せずに、ただ今を生きることそのものが、生き続ける意味なのだと・・・

    琥珀は鉱物界の中で唯一、樹液によって形成される有機物です。長い年月をかけて少しづつ少しづつ形成され、やがて黄昏のような輝きを持つ鉱物となります。
    目立たず着々と寂しさを重ねていくのです。

    人に誉められたい、人より秀でたい、そんなくだらない事より、蒼氓として1つの命を淡々と使い切るほうが、ずっと楽に生きられるのに、私たち人間は愚かですね。
    どちらの人生も、価値は同じなのに。

    書きながら、少し気持ちが整理できました。
    素晴らしい記事をありがとうございました。昨日初めて聴いたこの曲は、私にとって特別な一曲となりそうです。
    ちなみに私もデザイナーです。

  • はじめまして。音楽の曲って「波長が合う」って事があると思ってまして。スピリチュアルな意味じゃなくてね。

    その人の今の環境や心理状態、時間とか場所とか、マッチしたとき、歌詞がすごい入ってくるみたいな。
    何年も昔の曲でも「そういうことか!」ってやっとわかることがあります。

    能の世界で「花は観手に咲く」という世阿弥の言葉があるそうです。
    感動の花は舞う演者にあるのではなく、観てる人のなかに咲くものだ。
    という意味なんだそうです。

    どんなに素晴らしい舞であっても、見てるほうにそのセンサーがないと感動が生まれない。
    だから受け手として、わかる人でありたいし、わからないものに対してディスったりが好きじゃないんですよ。

    だから、初めて聞いた曲で「ないかこれはある!」と感じた
    にゃんとらさんの受け手としてのセンサーが、いいねと思いました。
    2歳の娘がいることも、デザインをされていることも、全部ひっくるめて合ったんでしょうね。
    達郎さんの発するメッセージにセンサーが働いたんでしょう。

    自分からディスを発信してたら、センサーがポンコツになっていくんですよ。
    わかろうとしたり、応援したり、協力したり、助けたり、支えたりが
    いいセンサーになっていくんですよ。きっと。

    センサーを磨きましょう。みんなの心が花で満たされますように。

  • 初めてお邪魔いたします。
    この曲は大好きで、何度も繰り返し聞いています。
    あの声で歌われると涙が出そうになります。
    素晴らしい文章に引き込まれて読み入ってしまいましたので、コメントさせて頂いております。

    誰でも通常は親を見送るものですが、達郎さんがあの曲を書いたのはそんな時なのかなと勝手に思っていました。
    親が逝く、自分もそう遠くない未来に同じところへ逝くのだな…と。
    年齢も人生の折返しをとっくに過ぎ、黄昏色になっていく、そんな人生の季節の歌かと。

    音楽って、聞く人の心模様で変わるものですね。
    改めていろいろと感じることがありました。

  • コメントありがとうございます。この曲に反応してくださる方は心ある方ばかりでうれしいです。

    先日ラジオで竹内まりやさんが「達郎のお父さんが釣りに連れていってくれたよね」と言われていました。その言い方がとっても、やさしくて温かい言葉で素敵でした。達郎さんのお父様がご存命なのか故人なのかわかりませんが、シンガーソングライターという言葉にするのが難しい感情や情景を歌にされる方の大切なことへの深さを垣間見た気がします。

  • こんばんは。最近山下達郎さんの曲が、心に刺さるようになり 特にこの「蒼氓」が奥深くて好きになり、検索しながら曲を味わっていたら、ここにたどり着きました。
    皆さん色んな思いを持ちながら聴いていらっしゃるのですね。
    この曲はリズムだけで聴かせるロックなどとは一線を画しますね。
    達郎さんの語られた言葉も読ませて頂きました。とても良かったです。ありがとうございました。
    人生の意味を考えながら、欲をかかずに自分なりの幸せを見つけて、コロナ禍をも乗り越えて生きたいです。

  • コメントありがとうございます。達郎さんの思想が込められた曲ですね。ライブのMCでも「みんなで力を合わせて」とよくおっしゃられているように、気持ちのうえでも支え合えるようになりたいです。自分の生きる意味と同じように、他の人の生きる意味も尊重される社会がいいなあ。

  • 75年生まれの男性です。自分が十代のころの日本のヒットチャートの上位の楽曲のメッセージは一様に「夢は信じれば必ずかなう」「夢をあきらめるな」「人と同じ生き方じゃつまらない」という内容ばかりでした。
    そんな曲ばかり聞いていた自分にとって「あこがれも名誉も華やかな夢もいらない」と言い切るこの曲のメッセージは異質なものに感じられました。しかし、30~40代となり、「自分の夢」よりも「自分がしなければならないこと」に重きを置かざるを得なくなった時、この曲の本当の意味が分かったように思います。
    達郎さんはかつて「夢はかなわないことの方が圧倒的に多い。だからこそ、夢破れてもその先をどう生きるか
    を歌う事の方が重要だ」とおしゃってました。まさにその思いが集約された楽曲だと思いますし、個人的には
    「座右の銘」ならぬ「座右の曲」として永遠に聞き続けると思います。

  • ありがとうございます。また理解が深まりました。そしてタメですね。夢ソング90年代多かったですね。先日のサンデーソングブックで「無名性・匿名性への賛歌」と解説されていました。芸能の世界で有名・成功だけを追っていって、どんどん普通の生活者から乖離した変な人になっていくサマを目の当たりにして、嫌だったんでしょうね。この世界にズッポリいたら大事なもが見えなくなると危惧されたんでしょう。からのその先をどう生きるかの「To find out the truth of life!」なんでしょうね。

  • 73年生まれ、大学生の息子と中学生の娘がいます。
    地方で、メディアの端くれに従事しています。

    高校以来、私のワン・オブ・ベストだった「蒼氓」が、ときを超え、場所を超え、
    いろんな境遇の人が、ゆっくりと往復書簡を送りあっているこのサイトとの出会いは、
    もしかしたら、この夏のいちばん素敵な出会いかも、と思いました。
    ありがとうございます。

    私はいま、「ビジョン」を考える仕事に関与しています。
    世の中をみれば、1日1万人のコロナ感染と、東京五輪が同居する、まさかの「東京・狂騒曲」。
    割り切れない思いを抱えながらテレビを消して、考えを巡らせていたとき、
    ふと「蒼氓」のフレーズが口から出てきました。そして、このサイトに出会えました。

    救われた思いがしました。 勇気をいただきました。

    「待ち望む」こと。
    希望という名の光と祈りを、あきらめずに、求め続け、届け続けること。

    父として、また、メディアの端くれに生きる者として、
    「つながって、私まで届いたメッセージ」を、
    私なりの小さな光にして、次につなげていきたいと思っています。

    ありがとうございました。

  • コメントありがとうございます。今の世情に「蒼氓」のメッセージは道しるべになりますね。有事のような今こそ、以前の日常のときの普通の生活者としての感覚を大事にしたいと思います。
    同世代ですね。日本のなかではボリュームゾーンです。達郎さんのようなかっこいい先輩からもらったバトンを次の世代に渡したいですね。同じく父として、オウンドメデイアの発信者としても。

  • 僕も昔から聴いていて心の最終ページにその意味が書かれていると思っていてそれを見せられたとき花丸💮だと決めています!

  • コメントいただきありがとうございます。これまた深い話ですね。きっと一生聞き続ける曲でしょう。簡単に見つかるようなものじゃないんじゃないかという気がします。

  • 初めまして。
    蒼氓でたどり着きたした。
    昨日のサンソンで流れていましたね。
    この曲、JACCSカードのCMで聞いたのが最初なのですが、ずっと心に引っ掛かっているんです。
    ただ、今まで意味を詳しく調べてはいませんたでした。

    昨日の知人のお墓参りの直前にサンソンからこの曲が流れて来て、何故か清々しい気持ちになり知人に歓迎されているかもと感じた次第です。

    JACCSカードのCMも良かったですね。

  • コメントありがとうございます。JACCSカードのCMは今youtubeで見ました。見たことあるような、ないような、当時あまり意識になくすいません。
    心にひっかりがあり、お墓参りの心境とサンソンのOAと、いろんなことが重なって、曲の良さを感じますね。
    疫病・戦争、特にいまのご時世では、また歌詞に深みを感じます。

  • ひろさん初めまして。

    久方振りに「蒼氓」を聞き、そういえば「蒼氓」ってなんぞや?
    と考えた折にこちらのブログに行き当たりました。
    するとまあ素敵なコメントの多い事多い事!

    42歳男。わりと学生時代から現在に至るまで変人扱いされた自分にとって、
    目から汗が噴き出るほど自分に似た感性をお持ちのひろさんの文章と感性豊かな読者様の感想に喜びを今噛みしめています。

    お酒に酔っぱらいながら文字を打ち込んでいるので乱文を送り付けますが「蒼氓」という素晴らしい曲で繋がったこのご縁、メッセージせざるを得ませんでした。

    夕景に使用されている画像も「蒼氓」そのものですね。

  • コメントありがとうございます。
    目から汗が出たら変人ですね。と思いましたが、成分は変わらないんでしょうね。呼び方の違いだけですね。
    同じ40代でうれしいです。若さと老いのはざまで迷いも多くありますが、前を向いて進んでいきましょう。
    写真にも触れていただき、ありがとうございます。どこにでもあるようなちっぽけな町の黄昏です。

  • 素晴らしい解釈、わかりやすくありがとうございます。
    敬虔な思いが湧いてきます。
    宗教音楽的、仏教的。

    他では
    プロコルハルムの「青い影」の旋律。
    ジミークリフの「遥かなる河」に
    似た感動を覚えました。

  • 震災の時にTwitterで流れてきて出会った曲です。毎日辛いニュースばかりで疲弊していた時、現実と鎮魂、そして柔らかい夜明けのような空気を感じ号泣しました。名曲ですよね…。
    その後度々思い出すのですが、漢字が難しく検索出来ないままで、意味も分かりませんでした。詳しい解説ありがとうございます。山下達郎の偉大さを噛み締めることができました。

  • コメントありがとうございます。お役に立ててよかったです。この記事は私のいち解釈でしかないので、まえださんが感じられた曲の感想と感情は大事に育ててください。

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