山下達郎「蒼氓」歌詞の意味がちょっとわかったかも

20代の頃に初めて聞いて以来ずっと聞き続けている「人生の1曲」のリスペクトソングです。サンデーソングブックで放送された山下達郎さんのライブMCの書き起こしから、この曲の意味を自分なりに読み解いてみました。

30代の頃に思ったこと

10年ぐらい聴き続けていますが、こう捉えてるという解釈も、感じるものを言語化するのもむずかしい曲ですね。ちなみに「蒼氓」とは無名の民を表すそうです。歌詞を細かく分解して、思う事を綴っていきます。

「数知れぬ人々の魂に届く様に」
最初聞いた20代の頃は、この部分がすごく好きで、仕事のデザインをするときはいつもこう思ってはいるんです。デザインのクオリティーは…まだまだですけど。

「吹きすさんだ風に怯え くじけそうな心へと 泣かないでこの道は未来へと続いている」
この部分も好きで、この言葉に助けられたし、自分のこどもに対してもこんな気持ちでいます。

「寂しさは琥珀となり密やかに輝き出す」
これは10代の頃の事を思い出すなあ。孤独だったゆえのイマジネーションとか青春ノイローゼなモテないがゆえの主観とかが、自分のクリエイティブにつながっているだろうし、クリエイティブの孤独(自分で考え、答えを社会に表明して、共感を得るというプロセス)を味わったときこの言葉の持つ意味がさらに深く感じられました。

力をもらったり、癒されたり、尊敬したり、と共感することだらけなんですが、1カ所だけピンとこない部分があったんです。この曲の一番重要な部分。

「憧れや名誉はいらない 華やかな夢も欲しくない生き続ける事の意味 それだけを待ち望んでいたい」

ここなんですよ。「憧れや名誉はいらない 華やかな夢も欲しくない」って言い切れない。このままでいいっていうのは、ちょっとモチベーションを維持できないなあ。もうちょっといい家、もうちょっといい車、もうちょっとお金を気にしない生活をっていう気持ちがやっぱりあるんですよね。ま、それだけじゃないけど。若いからさ。あと、ここが一番ピンときてない

「待ち望んでいたい」という表現。「待ち望んでいたい」とはどいう感覚なんだろう?

というのが10年近くずっと腑に落ちないままでした。数年前に山下達郎のラジオ「サンデーソングブック」に達郎さん5年ぶりのライブ「山下達郎 アコースティック・ミニ・ライヴ」がオンエアされまして、そのときのMCでの発言を一部を紹介します。

音楽で世の中を変えられると思ったことは一度もありません。歌は世につれ、世は歌につれ。といった言葉があるが、歌は世につれても、世は絶対に歌にはつれない、といった考え方であります。しかし私も文化に関わっている人間の端くれなんで。こうした文化メディアはそうした世の中の流れに否応なしに左右されるメディアですので、しからば音楽にとって何が出来るのか…と考えると騒乱とか争いとか、心の痛み、悲しみ、そういうものを慰め、癒したり、励ますことは音楽でもできるのではないかとずっと考えて生きてきました。19歳の時に出会った「WHAT’S GOING ON / MARVIN GAYE」この1曲はワン・オブ・ザ・ベスト。今でも自分の心、いや魂に強烈なメッセージを投げかけてくれる。30数年経っても僕にとっては最高の一曲。そういうような曲を僕自身でもつくれるだろうか。ずっと思っていて30代半ばに、思想といったら口幅ったいが、僕自身の物の考え方を込めた曲を作りました。

これが「蒼氓」です。さらに、MCは続き、

ここ10年、思い通りに物事がうまくいかない。そういう時代が長く続いて、長いことやっていると自分を取り巻く環境、音楽を作る環境が変わります。特に21世紀に入って激変しました。ハードディスクレコーダーに音楽を録音する時代になり、機械が変わると全く音の響き方が変わる。自分では15年、20年前と同じように一所懸命作っているが、あがったものが全く似て非なるものとなる。それで七転八倒した時代がここ3,4年でしたが、最近ようやく調子を取り戻してきました。人の問題も色々ありまして、レコード会社とも紆余曲折があった。一時は移籍も考えたが、ここ数年レコード会社の役員から現場まで人が変わり、今度は逆にすごく大切にしてくれるようになった。そのお陰で、まりやも自分も新作やヒットが出せるようになった。
人間の運命なんてどこでどう変わるかわからない。今が悪くても先は良くなるかもしれない、しかし、またその先に何かが待ち構えているかもしれない。だからとりあえず先に進むしかない。どこが勝ち、どこが負け、勝ち組とか負け組とかくだらない言葉があるが、そういうことではなく、人生とは不思議なものだ、と思う。現在55歳。還暦までは毎年少しでもツアーをやりたい。ここ数年間、その中長期的計画を組んでいた。昔のヒット曲を聴きたいお客様もたくさんいるが、だからといって昔の曲ばかりだとそれは懐メロ歌手になる。昔は良かったな、となるには僕はまだ早い。僕はまだ尖がっていたい。まだ前に進みたい。

このコメントから、「蒼氓」は「心の痛み、悲しみ、苦しみ、それらを慰め、癒し、励ますこと」をうたっていると思うから、欲や競争から生まれる苦しみなどを慰め、癒し、励ましたいという意味で「憧れや名誉はいらない 華やかな夢も欲しくない」という歌詞が生まれたのかもしれない。

そして、達郎さんは純粋に音楽を作ろうとしてきたからこそ、「憧れや名誉はいらない 華やかな夢も欲しくない」と言い切れて、純粋に音楽を作ることが達郎さんの「生き続ける事の意味」なのかもしれない。一所懸命作り続けても、時代や環境に左右されることもある。だから、純粋に音楽を作れる自分の気持ちを「待ち望んでいたい」のかもしれない。「僕はまだ尖がっていたい。まだ前に進みたい。」って言ってるわけだから、ただ目的もなく、自堕落に生きるようなことを待ち望んでなんかいないと思う。

また、蒼氓という名も無き民の多くは日々の生活や家族を大事にして生きている人たちがたくさんいて、その人達の純粋に仕事をやっているその魂だったり、純粋に誰かを想う気持ちだったり、を尊敬していて、それが「生き続ける事の意味」であって、自分もそうありたいということで「待ち望んでいたい」のではないかと思う。

達郎さんが30代半ばで作った「蒼氓」ですが、同じぐらいの歳になって、10年聞き続けて、やっと、こういう気持ちかもと思えました。浅い解釈の稚拙な表現しかできなかったけど、自分なりに精一杯考えて言葉にしてみました。純粋に向き合えば、「生き続ける事の意味 それだけを待ち望んでいたい」という気持ちになれるのではないでしょうか。

いま震災のこの現状のなか、政治の世界はなんとくだらない事をやっているのかとつくづく思います。トップに多少至らない点があろうと、復興を第一に考えて、枠を越えて、目をつぶってカバーしてやるぐらいの気概のある政治家はいないのでしょうか。地位や立場にこだわらず、自分のできることを日本のためにやればいいじゃないか。揚げ足取りで、足の引っ張り合いばっかりして、被災地の名も無き民に比べたら醜すぎると思います。(2011年6月)

40代で思うこと

30代の頃は達郎さんのアルチザン(職人)の部分にフォーカスしていたけど、いま聞くと、またちょっと違いまして、大げさに言えば「生と死」を意識するようになった。ちょっと他の人の言葉を引用しますが、

いまのところ、ぼくにとっての死というものは、別れることのさみしさであるようだ。(糸井重里)

これはすごくわかります。自分から近ければ、近いほど、実感できます。しかし、もう何十年も会っていない人が、亡くなっても、やっぱりさみしい。もう絶対に会えない本当の別れだから、さみしいのでしょうか。今は会ってないけど、どっかでつながっている「いまは会ってないけど、オレたち友だちだよな」っていう幻想を持っていたいのでしょうか。

というのも、私個人のことをはさみますが、昨年、小学校のときの友だちが病気で亡くなりました。41歳の若さです。同い年で家が近く毎日一緒に学校に行ってました。中学卒業以来会っていませんが、やっぱりさみしいです。じじいになって同窓会かなんかで会たら、ぼくらはきっとまた笑いあえると思っていました。

さらに先月、小学5・6年のとき同じグループだった友だちが亡くなりました。彼は自殺したそうです。詳細はわかりませんが、とってもさみしい。私のなかには、時が止まったままの小学生の頃の彼らしか住んでいなくて…せつないんですよ。自分の子供がいま6年生の男の子だから特にそう思うのかもしれません。死について、ただただ、どうしようもなく、さみしいよなあと感じる自分の気持ちと、どうつき合おうかと考えているところで、この「蒼氓」を聞いていると、また違う入り方があるんです。

「憧れや名誉はいらない 華やかな夢も欲しくない生き続ける事の意味 それだけを待ち望んでいたい」

友を失くして、これは、もうそのまんま、そう思えるようになりました。生きてこそだろ!って強く思います。自ら投げ出すなんて…生きる意味を失うなんて…なんて悲しいことなんだと。勝ち組、負け組なんて本当くだらない。今が悪くても、その先どうなるかわからない。達郎さんの言う通りだと。あと、30代の時はスルーしていたところがありまして、この歌の核になるのは、ここだと思ったんです。

To find out the truth of life!

これをどう訳すか。ですが、「私達が一人ひとりみんな本当に生きることの意義を見い出すために」と訳してみました。

私の受け取り方のニュアンスを伝えたかったので、かなり補足して野暮ったく長い文章になりましたが、主語は「私達」じゃないかと、で、生きることを見い出すのは「一人ひとり」みんなのことだろうと。「蒼氓」は名もなき民が「みんな、それぞれにいろいろあって生きる意味を考えたりしながら生活するんだよね」って、喜びも悲しみも、さみしさも、人生のまるごと全部を歌ってるんじゃないかな。

「生き続ける事の意味 それだけを待ち望んでいたい」の部分は、曲の途中では違和感があるようにしたんでしょうね。ひっかかりがあるようにして、曲の最後に「To find out the truth of life!」と、しめくくる。実にテクニカルな作詞だと思いました。わかるのに15年かかりましたけどね。

「私たちみんなが生きる意味を見出せますように」という達郎さんの祈りのような歌だと思っています。

私的なことをはみましたが、検索してここにたどり着いて今読まれている方も、きっと私と同じように、大切な人との別れであったり、人生の岐路であったりと、悲しみや悩み、苦しみ、など、抱えておられるのではないでしょうか。そういった人のためにこの曲はあると思いますし、「泣かないでこの道は未来へと続いている」歌詞にあるように、それぞれの道を前を向いて先に進むための曲だと思います。

読んでくれた方、ツイートしてくれた方、の反応のおかげで、なかなか言葉にできなかった友への思いを書けました。ありがとうございます。この場を借りてお礼申し上げます。これからも達郎さんの音楽とともに愛を持って生きていきましょう。私もあなたもきっと達郎さんのライブ会場のどこかにいるんでしょうね。(2018年3月)

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4 件のコメント

  • こんな長いものを読んでくれてありがとう。この曲をこういう風に理解できるようになったのもこのブログにしたおかげ。自分へのフィードバックがすごいんだよね。

  • 最近は毎日この曲を聞いてます
    改めて本当に奥の深い曲だとおもいました

  • 私もつい先日聞きました。達郎さんの曲は本当に人の心に寄りそっていてすごいと思います。この曲をライブで聞きたいとずっと思っていて昨年のツアーでやっと聞けて感無量でした。同時代を生きて彼の音楽を生で聞けて、本当にうれしい。

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    ひろ

    30年以上も飲めなかったコーヒーが飲めるようになったら、豆を挽き、ハンドドリップで淹れ、焙煎をするまでハマってしまった。人生何が起こるかわからないね。詳しくはこちら