ブログをやっていると、「この検索ワードでアクセスがありましたよ」というアクセス回析の機能があります。先日そのなかに「コーヒーにフルーティー求める」という検索ワードがあって、たしかにわかる!と自分も思いました。
コーヒーがフルーツの味するの?
きっとこの方は「コーヒーにフルーティー求める?」「コーヒーにフルーティー必要?」ていうか、よく書いてある「白桃のような~」って本当に?という気持ちなんでしょう。「甘くて~、フルーツみたいな~」が飲みたいのであれば、それはもうジュースを飲めばいいじゃないですか。とも思うし、ぼくは基本的にはコーヒーの苦味と香ばしさが好きですが、また、その一方で浅煎りの酸味が強く、かすかにフルーティーな味わいのコーヒーも好きな時もあります。ただ、あの「マスカットのような~」という説明がどうもしっくりこない、、、。
「コーヒーのフルーティー問題」
そこで、思ったのは、「コーヒーのフルーティー問題」は書く人と読む人のギャップの問題じゃないでしょうか。コーヒーのブログをやっている以上は、コーヒーの味をなんとか表現しようとすると、文字にするしかないんで、言いようがないものを、人に伝えるには何かに例えるしかないから、自分もああなっちゃう。もし誰かが隣にいて説明するなら、「かすかな甘みがあって、それをしいて言うとマンゴーみたいな甘みかなあ。ホント、後口にかすかにだけどねー。でも、それがずっと続いてね、おいしいんだよ」っていう言い方とイントネーションとニュアンスが加わって、耳から入ってくるなら、まだOKかなと思いました。
文字とのギャップ
それが文章の場合、読む人は、目で文字を見るから、単語の「マンゴー」をパッと読み取ってマンゴーの味をイメージしちゃって、あたかも、ひと口飲んで、はっきりとマンゴーの味がするような変な期待感になっちゃうんじゃないでしょうか。というか自分がそうでした。このブログではなるべくそのギャップがないような味の表現ができたらいいなあと心しております。
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